2009年10月11日

掛川大祭(かけがわおおまつり)

静岡県掛川市
10月10日-12日

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大獅子の舞
大獅子のお囃子

日本一の大獅子が乱舞をした。獅子頭の重さは220キロ。200人近い仁藤町の人々によって笛、太鼓のお囃子と威勢のよいかけ声で、勇壮に操られる。獅子頭のから広がった母衣(ほろ)の長さは25mもある。今年は3年に一度の大祭でこの大獅子が登場する。500年の歴史があると言われている掛川祭は、市内の7つの神社の合同祭。41町内が参加する。2町内には大獅子や子獅子が伝わり、38町内には屋台が伝承されている。近年は各町競って屋台の装飾が盛んで、漆できれいに塗られている。一つの屋台をリメークするには数千万円もかかるという。

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彫刻と漆塗りが美しい屋台

屋台囃子

今年は本祭ということで、仁藤町の大獅子、かんからまちの三匹獅子、奴道中(やっこどうちゅう)が登場する。大獅子は幕末に仁藤町の住職がお伊勢参りの時に、白子(三重県鈴鹿市)で見た獅子から考案されたという。祭では大獅子ばかりに目がいってしまうが、掛川祭の本筋は屋台祭り。各町内の二輪の山車には、美しい彫刻が施されている。これらの彫刻は愛知県半田、名古屋あたりからの影響が強い言う。大型の車輪は京都の祇園祭などの曳山の影響とも言われる。遠州各地では農村歌舞伎が江戸時代より継承されていて、掛川祭では、各町内の屋台でお囃子を演奏し、その前で、余興とよばれる歌舞伎の長唄、端唄、俗唄が、町民による手踊りで披露される。
(2009年10月11日撮影)

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栄町の余興「助六」。

栄町の手踊り。長唄は杵屋勝彦氏
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2009年10月03日

西浦(にしうれ)の観月会

静岡県浜松市水窪町西浦
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今年の10月3日は旧暦8月15日にあたり仲秋の名月となった。西浦の観月会は「月の会」(会長・志賀 勝氏)と「西浦の田楽」(別当・高木虎男氏)との共催で始まった。


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山里にある西浦観音堂。 蕎麦の花が咲く


西浦のある水窪は山林の面積が町内の約96%を占める林業を中心とした山村。志賀先生と水窪町西浦の製材所の方より、新月の日に伐採した木は特別な木で虫がつきにくい。なぜならば、木の養分がみんな地面にいってしまうからだ。逆に満月はたいへんなエネルギーを持っていて、すべての養分が樹木、葉にとどまる、というお話を聞いた。なるほど、満月を撮影すると、ISO400、F8でシャッタースピードは1/250秒ととても明るい。


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名月に、団子、すすき、里芋、あけび、くり、くわい、枝豆などを供えて田楽が始まった。千年以上世襲で伝承されている田楽だ。


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今回は、閏年の時にだけ特別に舞われる閏舞(うるうまい)の披露もあった。閏年には月と太陽が追いかけあう、という歌詞を別当が唄った。
閏舞の音

(撮影10月3日)
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2009年09月20日

海の祭り 水の祭り

浜で波しぶきに揉まれる神輿や、神輿の担ぎ手や裸の男たちに勢いよくかかる水、写真としては絵になるが、撮り手も気を入れないとずぶ濡れになってしまう。いかに、迫力がある水の祭が撮れるかがポイントだ。


海の祭り
 波うちがわを揉まれながら波しぶきを浴びて御神幸する神輿。神輿に近づいて撮影しようとしてもカメラマンや担ぎ手がいっぱいで、なかなかうまく撮れないし、足をとられて転んでしまいそうだ。デジタルカメラは海水にはとても弱い。水没したらオーバーホールしなければなららい。そいう時には、落ち着いて周囲を見回してみよう。堤防やどこかに、いかにも地元風のカメラマンたちが集まって待ち構えていないか。そのような場所は必ず良い撮影ポイントで、海を行く神輿を、さも自分が海上から撮ったようにとれる場所であることが多い。たいがい気がついた時にはすでに、そこは人が一杯でたどりつけないので、次回の課題となる。水でしぼったおしぼりを用意していき、海水をかぶった時や撮影が終わった時にそれで拭き、さらに乾いた布で拭く。もし、海水に浸かったらメーカーでの点検。シャッタースピードは1/250秒以上だと、神輿にかかる波しぶきが止まって写る。

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「浜降り」
神奈川県 茅ヶ崎海岸 7月
40基近い神輿が午前5時前から茅ヶ崎海岸で禊ぎをおこなう。「ドッコイ ドッコイ」のかけ声で、海中の神輿が暴れるほど神さまが喜ぶという。


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「大原はだか祭り」
千葉県 大原市  9月
18の神輿が1800人の裸のはちまき姿の男たちに担がれ、荒波の中を神輿が海中渡御する。10基ほどの神輿が先を争って威勢のいいかけ声と共に海に飛び込みもみあう。



水の祭り
 勢いよく氏子にかかる水。カメラをビニール袋で包んでいる人も多い。私は操作優先で基本的に無防備。海水と違い、水がかかったら乾いた布で拭くぐらいだ。。メーカーに確認すると、現在のレンズ、ボディは水しぶきくらいでは、そう簡単に水が入らないそうだ。しかし、回路のショートは大トラブルになるので、私は予備のボディを常に持っていて、水がたくさんかかった場合は、電池を抜き、乾いた布でくるんで、2台目のボディを使う。あとで日陰で乾かすだけだが今までトラブルはない。海水がかかってしまった時には、レンズとボディの接点が腐食してしまいオーバーホールになってしまったことがあった。人にかかる水は、シャッタースピード1/250以上は水が止まり、1/60秒以下は水の長さと被写体ブレによる動きがでる。


「深川八幡祭」
東京都 江東区  8月15日 本祭は次回は2011年(平成23年)
3年に1度の本祭りでは富岡八幡宮の御鳳輦がでて、氏子町内の大神輿約50基が町内8キロを練り歩く。沿道の観客が水をかけて神輿を清め、別名「水掛まつり」といわれる。



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「大東大原水かけ祭」
岩手 大東 2月11日
上半身裸で腹巻姿の厄年の男たちが八幡社での祈祷を受けた後、花火を合図に町内を走りぬける。清め水の桶を持った人が沿道で待ち構え、厄男たちの体に浴びせかける。


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「セッペトペ(どろんこ祭り)」
鹿児島市日置市 6月
「せっぺとべ」とは鹿児島弁で“精一杯飛べ”の意味。白装束の若者たちが水田の中で肩を組み、どろんこになって五穀豊穣を願って飛び跳ねる。暴れれば暴れるほど田の神さまが喜ぶ。
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2009年09月14日

日本の祭り400 刊行しました

芳賀日向監修 書籍
日本の祭り 発刊のおしらせ。

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祭りに行くなら・撮るならこの時期、この場所! 全国お祭りガイド。

キタムラグループ主催「日本の祭りフォトコンテスト」入賞作品掲載による影地ガイド。
芳賀日向による祭り写真の撮影テクニック、撮影地選択術などを特集。作品ページには撮影データ、撮影者、コメント、アクセス方法などを詳細に紹介します。


内容 
撮ることからわかる祭り
・東北の夜祭り など

知れば知るほど撮りたくなる祭り
・三信遠の祭り など

誰でも撮れる絵になる祭り

火の祭り・水の祭り

日本の祭りガイド400
 
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定価1680円
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2009年08月20日

夜祭り、火祭り

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青森ねぶた 青森ねぶた  青森県青森市8月2-7日

 夏の東北の祭りを代表する「青森ねぶた」は巨大な武者人形の灯籠。起源には諸説がある。征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討で蝦夷をおびき寄せるために作った。津軽藩の殿様が豊臣秀吉に見せたのがはじまり。農家の人々が夏の夜なべ仕事の最中に眠くなるのは、眠り魔に取り憑かれるせいで、その眠り魔を追い払うため(眠り魔がなまってねぶた)などとあるが、カッと眼が見開かれた勇ましい武者絵は、大変に迫力がある。
 ねぶたの撮影をする場合は、ハネトと呼ばれる踊り手を手前に入れて、背景にねぶたを写し、祭りの臨場感を表現する方法と、ねぶたをアップで撮影しその迫力を表現する方法がある。ねぶたの撮影に行った時に2日間雨が降り、ねぶたは大きなビニール袋の中に入って登場して全く絵にならないことがあった。時間つぶしのつもりで、近くの「ねぶたの里」にある「ねぶた会館」を訪れると、暗い会場内に歴代で賞をとった8台のねぶたに灯がはいり常設されている。いくつかのねぶたは、一番の見せ所である引き回しが再現できるよう機械仕掛けで回転しながら展示されているではないか。ここは、じっくりとねぶたをアップでその迫力を撮影してみようと思い、三脚に水平に回転する雲台を取り付け、ねぶたの動きにあわせて、カメラを回転させたり、シャッタースピードや絞りを変えながらいろいろな角度から半日かけて撮影した。色々な方法を検証できるまたとないチャンスだ。回転しているねぶたは、眼のあたりが止まり、周囲が微妙にぶれることにより動きが感じられ迫力がでる。また、斜めからのアングルでアップで撮ると力強く表現できることなどがわかった。
 青森県では各地で「ねぶた」や「ねぷた」が夏祭りで行われる。大きな扇形をした弘前の「ねぷた」は津軽藩ねぷた村・ねぷたの館でも一年を通して見られる。五所川原市ではビルの3階ほどの高さになる立佞武多(たちねぷた)が町を運行する。この立佞武多も「立佞武多の館」に常設されている。失敗を恐れずいろいろなテクニックと工夫を凝らして撮影できる。灯籠や提灯、花火の色を表現するには、私はフィルムではデイライトのやや彩度の高いベルビア100F。デジタルカメラの場合はホワイトバランスはオートだと色が白っぽくなり味気がなくなるのでデイライトに設定する。


各地の火祭り

東北の夜祭り
 
弘前ねぷたまつり  青森県弘前市8月1-7日
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弘前のねぷたは、扇形の灯籠に武者絵や美しい昔の女性の絵を描いたものが多い。子供たちは、かわいい金魚ねぷたを竿につけて、一緒に行進する


立佞武多(たちねぷた) 青森県五所川原市8月
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立佞武多の高さは22メートルをこえる。明治時代まであった立佞武多は大正時代に電線が引かれて小さくなった。「明治の勢いを盛り返せ」と、電線を地下に埋め1998年(平成10年)から運行を始めた。2.1キロのコースを8月4日から8日まで出陣する。


秋田竿燈まつり  秋田県秋田市 8月
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長さ5mもある竹竿に46個の提灯をつけて持ち上げる。重さは50kgから60kgもある。竹竿は手のひらや、肩先、ひたい、腰へと移す竿灯の提灯は稲穂の豊作祈願をあらわす稲穂のようにも見え、豊作を迎える祭りにもなっている。


東京湾大華火祭 東京都 中央区 8月8日
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東京湾のベイブリッジを背景として約12000発の花火が夏空に打ち上げられる。都心唯一の尺5寸玉が打ち上る。


お灯まつり 和歌山県新宮市 神倉神社 2月6日
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 午後8時に山門が開かれると、白装束の男たちが手に松明を持って、神社から538段の石段を火の粉をまき散らしながら駆けおりてくる。女人禁制の祭りだが、撮影は女性でもできる。


鬼夜 福岡県久留米市  1月7日
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大善寺玉垂宮で正月7日の夜に行われる、新しい年の邪気を払う火祭り。長さが15メートルの6本の巨大な松明に鬼火がつけられると、氏子の掛け声で悪魔払いの神事がおこなわれる。
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2009年07月25日

山あげ祭

栃木県那須烏山市 7月24日から26日

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妖術を使いガマにのって登場する滝夜叉姫

常磐津節による浄瑠璃。


 山あげ祭りは、奥行き100mにも及ぶ立体的な舞台で、、町の人たちによって演じられる地歌舞伎。夏の3日間にわたり那須烏山市でおこなわれる450年の伝統を持った野外劇の江戸歌舞伎だ。
 6つの町内がそれぞれの年の年番となり、移動式舞台を素早く設営し各町内で地歌舞伎を公演する。「訪問」というしきたりで、紋付き袴にカンカ帽子を被った当番町の役員が他の町内に挨拶にいく。その後、訪問した町内の路上に、舞台一式を乗せた引き車にがやってくる。引き車の上にははっぴ姿の木頭が立っている。お囃子が演奏される中、木頭の拍子木の合図で、てきぱきと舞台が組み立てられる。舞台の長さは100mにもなり、後方は「山」と呼ばれる高さ10m近い背景がいくつも並ぶ。この背景には仕掛けがしてあり、次々と絵がかわるようになっている。この移動式舞台の設営もみものだ。今年の演目「将門」、「蛇姫」、「吉野山狐忠信」が1日5〜6回上演された。
 450年前に、この地で疫病が流行し、時の烏山城主那須資胤(なすすけたね)がこの厄を避けるために牛頭天皇(ごずてんのう)を八雲神社にお祀りしたときに余興奉納したのが、この祭りの始まりという。もともと烏山は和紙の産地であり、その和紙を使って背景となる豪華な山を作っている。
 演目「将門」では、妖術を使う平将門の娘、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)がガマの背にのって現れ、将門一門の再興を図る。京都でさらし首になった平将門の首は、3日目に怨霊とともに空中へと舞い上がり関東へと飛んだ。その将門の怨霊にあやかり、夏の邪気を祓う演目だ。


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各町内の山車と山車がすれ違うとお囃子の競演が行われる

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背景となる「山」の準備

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討伐に来た頼朝の家臣・大宅太郎光國に色仕掛けをする滝夜叉姫


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「蛇姫」。阿六姫は家老の悪行を訴えた密書を侍女・楓に携えさせ江戸表に向かわせ、自刃(じじん)する。楓は迫害を受けながらも白蛇に守られて道中をいく。

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長さ100mにもなる壮大な移動式舞台。右手が浄瑠璃のお囃子

(2009年7月25日撮影)
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2009年07月20日

7月の夏祭り

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博多祇園山笠。櫛田神社境内に建てられた清道旗を回り、走り出す山笠


梅雨が明けて夏になると、夏休みや旅行のシーズンとなる。しかし、昔の日本人は、夏には悪い病気が流行り、悪霊が地上にでてくる季節と考えた。
  7月に京都でおこなわれる祇園祭は貞観11(869)年に京都か疫病が発生し全国に流行ったので、鎮めるために国の数である66本の鉾を建てたのがはじまりといわれる。全国各地で行われる祇園祭は、その京都の八坂神社の分霊を祀っている神社で行われる。安政5年(1858)7月〜9月にはコレラが長崎で発生し、大阪、京都を経て江戸で大流行。死者3万人を越えたという。


博多祇園山笠(7月1日〜15日) 福岡県福岡市博多区櫛田神社

 博多にある櫛田神社の祇園社は京都の八坂神社の御分霊を祀っている。仁治2年(1241)博多の町に疫病が流行したときに、博多承天寺(じょうてんじ)の開山聖一国師(しょういちこくし)が疫病退散を願い、施餓鬼棚(せがきだな)と呼ぶ台を町民に担がせ、聖水をまいて清めたことが、今日の祭りに発展したといわれる。博多祇園山笠は日本でも最も男のエネルギーのある祭りの一つで、山笠というのは、大きな歌舞伎や武者人形を乗せた山車のこと。約1トンの重さの山車を26人が途中交代しながら担いで走る。
 7月になると博多の町には法被姿(はっぴ)の博多っ子たちであふれだす。山笠の組織は博多区のいくつかの町の集合体である「流れ」という組織で運営され、現在は七流れで構成されている。祭りのハイライトは若者たちによって担がれる七流れの山笠のレースだ。祭りは7月1日から始まる。1日には当番町が箱崎宮の前の浜で身を清め、祭りの無事を祈り、9日には全参加者が浜で身を清める。10日より各町内で山笠を舁き(かき)まわる流れ舁きがはじまる。12日は追い山ならしといわれ、本番さながらのレースが行われる。昼間であることと、本番より1km距離が短い約4kmであること以外は全く本番と同じだ。そして15日午前4時59分に櫓の上で打たれる大太鼓の合図で追い山笠がはじまる。2008年の最速記録は五番目に登場した千代田流れで、櫛田入り(神社に建てられた旗を回る 距離112m)を31秒47、全コース(約5キロ)を29分12秒で走り抜けた


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七流れが出発して最後に登場するのは、八番目に走る飾り山笠。白い煙をはく

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祭りの時のごちそう。祭りの期間は夫婦でも男と女は同席してはいけないという


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2009年06月30日

夏越の大祓(なごしのおおはらへ) 茅の輪くぐり

神奈川県寒川町 寒川神社 
6月30日

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風に揺れる人形(ひとがた)

 毎年6月と12月の晦日に厄除けの茅の輪(ちのわ)くぐりが行われる。日常生活において、知らず知らずのうちに犯している罪や穢を半年毎に祓い清め、すがすがしい生活を送るための伝統的な行事だ。茅の輪は青々とした茅草で作られた大きな輪。この輪の中を三回くぐる。「水無月の夏越しの祓する人は、ちとせの命のぶというなり」という古歌を唱えながら、最初はくぐって左へまわり、次に右へ、そして左へとまわる。茅の輪くぐりの前に参拝者には人形(ひとがた)が配られる。小さな人間の形をした白い紙だ。この紙に息を三回吹き替えるとその人の厄が移るという。その人形を神官に渡し厄を流してもらう。
 茅の輪の由来は蘇民将来(そみんしょうらい)の民間信仰にもとづく。武塔神(むとうしん、後の須佐之男命(すさのおのみこと)が、旅の途中に宿を蘇民兄弟の家々に乞うた。裕福な弟の、巨旦将来(こたんしょうらい)は断ったが、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなした。その後に来訪した武塔神は、弟の将来の妻になっていた蘇民の娘に小さな茅の輪をつけさせた。やがて疫病がはやり、娘を除く弟の将来一族は滅んでしまった。以降、茅の輪をつけることで疫病を避けることができるという教えになったという。
 疫病の流行しやすい夏を前にした伝統行事だ。
(2009年6月30日撮影)

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2009年06月15日

田植の祭り

春に苗代に種を蒔いて、稲の苗を育てる。5月、6月頃に苗を田に移す田植えをおこなう。夏に稲は大きく育ち、秋に実り、米が獲れる。日本各地では6月初旬から中旬に、秋の豊作を願い、田植えの祭りがおこなわれる。
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広島 壬生の花田植 早乙女が合唱しながら苗を植え、奥では太鼓や鉦を叩いて囃す青年たち

【神社の田植え祭り】
 神社で神様にお供えする米は神田(しんでん)で収穫された稲をつかう。そのために神社では田植えをして田植えの祭りをおこなうところがある。

 大阪市の住吉神社では、御田植え神事(6月14日)とよばれる田植え祭りをおこなう。神社の神前に苗を供えた後、、御田植えをする人たちが行列をして神田にいき、氏子の女性がたちによる田植えがはじまる。神田の中には仮舞台があり、田植えの行われている間、8人の巫女たちが田の神様を喜ばすために田舞いを舞う。今から2千年も前に神功皇后がの神田をつくらせたのがはじまりと言われる。
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住吉神社・御田植え神事の植女(うえめ)。神前よりいただいた早苗を御田中央の舞台で、替植女に渡す役割をする。

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総勢30名の替植女(かえうえめ)による田植えがおこなわれ、仮舞台では田舞が舞われる


 三重県伊勢市の伊勢皇大神宮の神田は、三重県志摩市部町の伊雑宮(いざわのみや)の中にある。磯部町の少年少女たちが田植えの祭り「御田植祭」(6月24日)に奉仕する。田植えをするのは12才から15才くらいまでの少女6人で早乙女(さおとめ)と呼ばれる。少女たちはこの日は神様に仕えるために清らかにお化粧をして、白妙(しろたえ)の晴れ着姿に赤い襦袢を装う。早乙女に苗を渡す役の青年が6人、それに田舟(たふね)に乗って太鼓を叩く男の子、笛や鼓でお囃子を演奏する青年も加わる。田んぼのなかで、田植えに関係のある謡曲を唄ったり数え歌による鳥追いの鳥さし舞いをしたり、のどかに美しく御田植え式をおこなう。

 このように田植えをする神社は、千葉県の香取神社(4月第1土曜)、滋賀県の多賀神社(6月第2日曜)など全国各地にある。

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伊雑宮・御田植え式の竹取神事。水田で下帯姿の男達が、団扇のついた忌竹を奪い合う

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早乙女と苗を渡す青年たちによる田植え。

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苗や稲、農具などを運搬する田舟(たぶね)に乗った男の子が太鼓を演奏する



【花田植】
 豊作を祈る祭りは、田の神様を迎えて、神様に喜んでもらうためにおこなう。その時「田遊び」のように田の仕事をまねする儀式(1月号予祝・田遊びに解説あり)をおこなうだけではなく、実際に田植えをして田の神様の祭りをするところが中国地方各地にある。広島県北広島市千代田町壬生では「花田植」を毎年6月第1日曜日におこなう。

 たんぼの水口(みなぐち)に祭壇をこしらえ、田の神様をお招きして、3束の苗を供える。金色の鞍をおき、きれいに飾られた牛に馬鍬(まぐわ)という農具をひかせ、水田で土を柔らかくするための代かきをおこなう。代かきが終わると、田植えをする女性の早乙女たちが登場する。早乙女はそろいの絣(かすり)の着物で菅笠をかぶっている。田植えがはじまると、70人ほどの早乙女が田んぼで横一列に並ぶ。その前に、「さんばいさん」と呼ばれる男の人が立つ。さんばいいさんは田植えの指揮者で、手に竹で作った「ささら」という楽器を持っている。早乙女の後ろの方には大太鼓、笛、鉦などで田楽を囃す若者たちがいる。さんばいさんが、ささらを叩き合わせながら、よく通る声で、田植え歌の上の句を唄う。「田の神はヤーレ 今こそおりる宮の方から」、」すると下の句を早乙女たちが合唱する。「あし毛の駒に手綱よりかえけ....」。

 こうして唄って田植え唄が一区切りつくと、若者たちが賑やかに田楽を囃したてる。そのリズムにのって早乙女たちは田に苗をさしていく。そしてまた田植え唄を合唱し、田楽のリズムに乗り、田植えが繰り返される。この田植え唄は一日唄っても同じ句が繰り返されることはないというほどバリエーションが多い。つらい田仕事を楽しくすごすために、昔から行われてきた田植えが再現される。

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壬生の花田植・金の鞍をつけて飾られた牛による代かき

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壬生小学校の生徒たちによる田楽

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苗を植える着飾った早乙女たち。
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2009年05月10日

神田祭(かんだまつり)

東京都千代田区 神田神社
5月7日から14日

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10日。境内で宮入(みやいり)するために入ってきた神輿は木頭(きがしら)の指示により高くさし上げられる。宮入のハイライトだ。

手拍子三本で締めて、威勢の良いかけ声で神輿を担ぐ


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神田祭のお囃子。小太鼓、太鼓、鉦、笛による演奏。


 今年は2年に1度の神田祭の本祭。神田祭は赤坂の日枝神社の山王まつりと同じく天下祭と呼ばれ、江戸時代には江戸城に神田祭、山王まつりの行列が入城し徳川将軍が上覧になった。しかし、その祭りの費用が莫大なことから、日枝神社と交互の年に拝城することになり、それが現在でも、神田祭の本祭の時は山王まつりは陰祭として1年おきに交互に本祭が行われている。神田祭本祭では三基の鳳輦・神輿(ほうれんみこし)が飾り付けられ神幸祭行列をする。一の宮鳳輦は「だいこく様」、二の宮鳳輦は「えびす様」、三の宮鳳輦は「まさかど様(平将門)」の御霊が安置されている。鳳輦・神輿による神幸祭行列は約300名が神田、秋葉原、大手町、日本橋、丸の内、浜町までの広大なエリアを30キロに渡って一日かけて巡行する。

 祭は7日の鳳輦・神輿遷座祭(ほうれんみこしせんざさい)より始まる。陽が沈むと神田神社境内で、白装束の神官により御霊が鳳輦神輿へとお遷し(うつし)される。翌8日夜には、氏子108町にて神輿約200基に神田明神さまの御神霊がお遷しされる。

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7日。鳳輦・神輿遷座祭。鳳輦・神輿に御霊がお遷しされる

神事での雅楽

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9日。三基の鳳輦・神輿が並ぶ厳かな発輦祭。左が平将門の三の宮。


 9日土曜日は、神幸祭(しんこうさい)。境内では朝8時より発輦祭(はつれんさい)が執り行われ、神幸祭行列が神社を出発する。各町内を巡る行列は10時頃に、将門塚(しょうもんづか)に寄る。伝説では、現在の茨城県坂東市で京都の朝廷の軍に討たれた平将門の首は平安京まで送られ都大路で晒されたところ、3日目に空に舞い上がり故郷に向けて飛んでいったという。首が落ちたという伝承地は数カ所あるが、最も有名なのが大手町にある首塚だ。平将門の怨念は日本の三大怨霊(菅原道真、崇徳天皇)として恐れられ、数々の祟りが伝えられている。この平将門の御霊が神田明神の祭神である。神幸祭の神官は首塚で奉幣の儀をおこない、神饌を奉献する。午後には、附け祭り(つけまつり)の一行が行列に加わる。大江山凱陣では、伝説の丹波の大江山の大鬼が登場。それに大鯰(おおなまず)が加わる。大鯰は大地震を起こすとされ、頭の上には地震を防ぐ要石(かなめいし)が置かれている。行列が神田神社に戻った頃には日が暮れていた。

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10日。色鮮やかな神幸祭の行列。日本橋、新常盤橋交差点。 
大手町にある平将門の首塚での神事

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9日。三越前に現れた大江山凱陣の大鬼。 
神田神社境内に現れた大鯰。頭には地震予防の要石がある。


 10日日曜日は神輿宮入。朝から晩まで各町内の神輿約100基が神田神社境内に練り込み参拝する。周辺は神輿でいっぱいになる。宮入は神輿渡御のハイライトだ。拍子木をもった木頭(きがしら)の指示で神輿を高くさし上げる。拝殿に向かって神輿を真っすぐに方向を定め木頭の足元に到着すると、木頭の拍子木が鳴り宮入になる。三本締めの手拍子を打ち、神社に参拝する。一番大きな江戸神社本社神輿が宮入すると午後7時をまわっていた。


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10日。次々と宮入する各町内の神輿

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10日。江戸神社の本社千貫神輿(せんがんみこし)の宮入。この神輿だけには先導のため人間が上に乗れる。


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14日。神田祭の最終日に奉納された神田明神薪能。篝火が社殿を照らし幽玄の世界が現れる。巫女舞が奉納され、狂言大蔵流「千鳥」の次に金剛流「清経(きよつね)」が舞われた。平清経は平家一門が都落ちした後は、次第に悲観的な考えに取り付かれ、寿永2年(1183年)に豊前国柳浦にて入水した。その後亡霊となり、悲しみにくれる清経の妻の夢枕に現れ無念と修羅の苦しみを聞かせるが、自害の際に念仏を唱えたことで成仏できたと消え失せる。

(2009年5月7日〜14日撮影)

posted by 芳賀日向 at 22:59| Comment(1) | TrackBack(0) | 5月の祭り